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悪魔はよみがえるのか−生物兵器の恐怖−【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】

2021/5/14 10:40 FISCO
*10:40JST 悪魔はよみがえるのか−生物兵器の恐怖−【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】 「悪魔の飽食」は、1981年に作家・森村誠一氏が「しんぶん赤旗」に連載した著作の表題である。旧日本陸軍の731部隊、正式名称は満州に拠点を置く「関東軍防疫給水本部」における非人道的実験の数々を著わしている。森村氏はノンフィクションであると主張しているが、内容に疑義を申したてる人も多く存在する。しかしながら、同部隊が細菌戦に使用する生物兵器の研究開発機関であったことは間違いなく、人体実験が行われたこともおそらく事実であろう。同氏が「悪魔の飽食」というセンセーショナルな表題をつけた理由は、非人道的な人体実験に感覚が麻痺していた当時の研究者の心理を描写したものであろう。しかしながら、生物兵器そのものも「悪魔の兵器」と呼ぶにふさわしいものである。現在の国際社会において生物兵器はどのような状況におかれているのであろうか。 生物兵器禁止条約(BWC : Biological Weapons Convention) は戦時における使用を禁止した1925年のジュネーブ議定書を受け、1975年に、それまで許されていた生物兵器の開発、生産、貯蔵を禁止するとともに、既に所有している生物兵器を廃棄することを目的として発効したものである。締約国は、防疫や身体防護の目的、その他の平和的目的のため以外の所有は禁止されている。5年ごとに締約国による運用検討会議が開催され、条約に違反していると判断した国は、国際連合に苦情を申したてることができる。 外務省によると、締約国は182カ国、署名・未批准国は5カ国であり、2020年現在の国連加盟国が193カ国であることを考えると、ほとんどの国が本条約に参加していると言える。具体的な検証方法や罰則が規定されていないとは言え、生物兵器の使用に関しては多くの国にとって高い心理的ハードルがあると言えるであろう。北朝鮮も本条約の締約国であるが、2015年韓国国防部は、北朝鮮は10日以内に13種類の細菌を兵器化することができると見積もっていると伝えられている。 米国疾病管理予防センター(CDC)は生物兵器を、A、B、Cのカテゴリーで分類している。カテゴリーAは、最も危険な病原体で、国の安全保障に重大な影響を及ぼすとし、その特徴を、容易に人から人に伝搬される、高い死亡率で公衆衛生に大きなインパクトを与える、社会にパニックや混乱を引き起こす可能性がある、そして公衆衛生上、特別の準備を必要とするとしている。代表的な病原体として、天然痘、炭疽菌、ボツリヌス菌、野兎病、エボラ出血熱等が挙げられている。カテゴリーB及びCもそれぞれ社会生活に大きな影響を与えるが、生物兵器として使用されるのは死亡率の高いカテゴリーAである。 2001年9月及び10月に米国大手テレビ局、出版社及び上院議員に炭疽菌入りの封筒が届けられ、開封した5名が死亡、17名が負傷するという事件が生起した。9.11テロの直後でもあり、国家または非国家組織が生物兵器を使用する可能性が指摘され、防衛省(当時防衛庁)も検討を実施、基本的考え方が2002年4月に示された。その内容は、生物兵器が軍事目標のみならず一般市民への攻撃手段として使用される可能性があるとした上で、当面の脅威を天然痘ウィルス、ボツリヌス菌、ペスト菌及び将来的には未知の生物も視野に入れるとした。 対処方針としては、自衛隊としての抑止能力を維持するために、自隊防護能力を備えることとし、広範多岐にわたる生物兵器対処能力の基盤を作ることを着実に実施することとしている。具体的な基盤整備として、検知機材の整備、検査体制の整備、防護機材の能力向上に加え、ワクチンの安定的取得方法の追求等があげられている。2020年1月から3月にかけて、新型コロナウィルスの感染が拡大したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」において生活、医療支援及び下船者の輸送支援のため、延べ約2,700名の隊員が派出されたが、隊員への感染は確認されていない。当初の体制として、自衛隊の自隊防護能力は十分に機能したものと考えられる。 生物兵器による攻撃の特徴として、国家又は非国家組織による攻撃なのか、自然発生的なものなのか区別が困難であること、病原体は目に見えず、攻撃があったことを自覚しづらいこと、ほとんどの医師は症例を見たことがなく、診断技術を持たないこと、そして病原体が宿主(ヒト)の中で増殖し広範囲に拡大するとともに次々に変異すること等があげられる。そしてこれらの特徴は、攻撃する側としても、取り扱いに注意が必要であるとともに、効果が確認しづらく、被害のコントロールが効かないという欠点にもなる。 攻撃武器としては、使いづらい兵器であるが、甚大な被害を相手に与える可能性もある。生物兵器ではないと思われるが、今回の新型コロナウィルスの感染拡大は、世界各地において、膨大な死者と経済的損失を与え続けている。クルーズ船対応においては効果が認められた自衛隊の自隊防護能力であるが、2021年4月末現在隊員1,406名が感染しており、長期間にわたる防疫には不十分である事を露呈した。生物兵器を含む病原体への対応に関しては、病原体特定に関するノウハウを確立し、早期に防疫活動に移ることのできる体制構築が不可欠である。そのためには、官民のみならず国際的な取り組みが必要であり、それぞれの役割分担を明確にする必要がある。今回の新型コロナウィルスのパンデミックを教訓として体制整備を図っていくべきであろう。 生物兵器禁止条約という国際的な取り組みにより、生物兵器の脅威は低下しつつあるとはいえ、日本周辺には北朝鮮という生物兵器を保有する可能性がある国が存在する。国家として生物兵器を完全に廃棄することは、対処能力構築の努力を放棄することに繋がる。あくまでも生物兵禁止条約の枠組の中で、生物兵器に対応することのできる体制を引き続き保持していかなければならない。おりしも、バイオテクノロジーが新たな成長分野として期待されている。バイオテクノロジーによって、意図的あるいは意図せず人類に大きな影響を与える微生物等が生成される可能性は低くない。生物兵器という悪魔は、決して眠らず、よみがえる機会を常にうかがっているという認識が必要である。 サンタフェ総研上席研究員 末次 富美雄 防衛大学校卒業後、海上自衛官として勤務。護衛艦乗り組み、護衛艦艦長、シンガポール防衛駐在官、護衛隊司令を歴任、海上自衛隊主要情報部隊勤務を経て、2011年、海上自衛隊情報業務群(現艦隊情報群)司令で退官。退官後情報システムのソフトウェア開発を業務とする会社において技術アドバイザーとして勤務。2021年から現職。 《RS》