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「北方4島」「竹島」、元統合幕僚長の岩崎氏「アラスカを買い取りなども参考にあらゆる手段の議論を深めるべき」

2020/2/21 17:14 FISCO
*17:14JST 「北方4島」「竹島」、元統合幕僚長の岩崎氏「アラスカを買い取りなども参考にあらゆる手段の議論を深めるべき」 今年も「北方領土の日(2月7日)」、「建国記念日(2月11日)」が何事もなく過ぎて行った。そしてもうじき「竹島の日(2月22日)」を迎える。この竹島についても若干のニュース報道はあるだろうが、何の変化もなく過ぎ去るのであろう。何か空しさだけが残る。 多くの方々がご存知のとおり北方領土の日は、安政元年(1855年)2月7日、江戸幕府と帝政ロシアとの間で「日露(魯)通好条約」が締結された日である。この条約により、日露両国の国境は、択捉島と得撫島の間とすることが明確になり、国際的にも認められるようになった。我が国政府は大東亜戦争後、ロシアが不当に我が国固有の領土である「北方4島」に居座っていることを更に広く日本国民に知らしめる事、北方4島に対する国民の関心を高め、返還運動を盛り上げる為に、昭和55年(1980年)11月、国会の衆参両院に於いて全会一致で「北方領土の日」を設定することが決議され、翌年(1981年)1月6日に閣議了解し、2月7日を北方領土の日とした。 日露間には、この条約だけでなく「日ソ不可侵」の条約もあった。この条約の正式名称は、「大日本帝国及びソビエト社会主義共和国連邦間中立条約」である。昭和16年(1941年)に締結された条約であり、略称は「日ソ中立条約」であったが、いつの間にか、その条約の主内容である「不可侵」が有名となり、一般的に「日ソ不可侵条約」と呼ばれてきた。内容には、「相互不可侵」、「一方が第三国の軍事行動対象になった場合の他方の中立」等の4条からなる条約及び「満州国とモンゴル人民共和国の領土の保全と相互不可侵」を約束した声明書から成り立っている。この条約は昭和16年(1941年)4月13日に締結されたものである。日本側からの視点においては、ソ連がこの条約にも違反し、8月9日にモンゴルとの国境地帯へ踏み込んだのである。そして所謂、北方4島にソ連軍が侵攻したのは、明らかに我が国が降参した8月15日以降であった。 この様な日露(ソ)間の約束違反との理由から、ロシアの北方4島占領・居座りは不当である、と我が国は主張してきている。しかし、我が国の主張に対し、これまでロシアは若干の紆余曲折こそあったものの、殆ど理解を見せていないのが現状である。 さて、少し観点を変えてみよう。大東亜戦争の終戦日はと聞かれれば、多くの日本人は我が国がポツダム宣言を受諾し、昭和天皇が玉音放送を行った「8月15日」と答えるであろう。そしてまた、この後、東京湾上の米国の戦艦「ミズーリー号」の甲板で降伏文書の調印式が行われた事も周知の事実であろう。この調印式は公式なものであり、国際的には、この調印式をもって大東亜戦争の終結(第二次世界大戦の終結)との見方の方が多い。この調印式は昭和20年(1945年)9月2日に行われたことから、終戦日は9月2日という見解が一般的と考えられている。これまで、ロシアは北方4島を返還しない理由を公式に説明したことはない。ただし、ロシアは、この「9月2日が終戦日」であり、日本側の8月15日以降の侵攻が違反との考え方を受け入れていない様である。 また、「北方4島は戦争で勝ち取った戦利品」と考えている様にも感じられる。そもそも第二次世界大戦以前は、戦争で勝ち取ったものを相手国に返す必要がないと考えられており、ヨーロッパ各国の国境は戦争の度に書き換えられていた。この事を我々はしっかりと認識する必要がある。そして、その上で相手方(ロシア)の論を打破する事を考えないといけない。国際社会はそんなに単純ではないし、甘くない。冷徹なのである。ただ単にもともと私たちの領土でした、との論は通用しない。 更に最近の報道では、ロシア国内でロシアの領土をむやみに他国へ譲り渡さない様に憲法改正すべきとの意見があるとの事である。プーチン大統領はそれに対し、「魅力的な意見だ」とコメントしたようだ。益々、北方4島の返還交渉が難しくなることが予測される。早急な対応策を構築する必要がある。 次に、「竹島」である。「竹島」も日本古来の領土である。ところが、昭和21年(1946年)連合軍総司令部が最高司令官指令で竹島を日本の施政下から外した。昭和26年(1951年)に調印されたサンフランシスコ条約では、日本が放棄した地域に竹島が入っていないものの、大韓民国は1948年(昭和23年)8月13日に独立し、1952年(昭和27年)1月、急遽として李承晩ラインを宣言した。このラインの韓国側に竹島があった。そして韓国は1953年(昭和28年)4月から独島義勇守備隊と名乗る民兵組織を常駐させて実効支配を始めた。我が国は、この様な韓国の処置に「不法占拠」であるとの抗議をし続けているが、韓国側は独島で領土問題が存在しないという見解である。「タラ・レバ」を今更言っても致し方ないが、連合軍総司令部が竹島を我が国の施政下から外した瞬間に、より強い抗議をすべきであった。 私は長い間、戦闘機に搭乗して対領空侵犯措置任務に就いていが、ある時不思議に思ったことがあった。我が国のADIZ(防空識別圏)に竹島が入っておらず、KADIZ(韓国防空識別圏)内にあるのだ。米軍の使用していた航空地図には1987年まで竹島が「Rock Island」と記されており、その下に(Japan)とされていた。1988年以降の航空地図には、「Rock Island」と同じ記載であったが、その下の()内がかなり長い文が記載されていた。(dispute between Japan and Korea)と。米軍に文句を言ったものの、誰も相手にしてくれなかった。 平成24年(2012年)9月、我が国が尖閣列島を国有化して以降、中国の公船(当時の「海警」、「海監」や「魚政」等、現在は「海警局」)がこの海域に多く出没し、接続水域を我が物顔で航行し、領海侵犯を繰り返している。昨年の尖閣列島周辺に現れた中国公船の延べ隻数は過去最高数であった。この様な中、米国のオバマ大統領やトランプ大統領、そして国防長官が度々、「もし、尖閣でなにか起これば、当然安保条約5条が適用される」旨の発言をされ、書面でも公表されている。 しかし、米国は、または米軍は「北方4島」や「竹島」を取り返してくれるだろうか?答えは「否」である。米国の言っている安保5条の適用は、あくまでも「日本の施政下にある土地」が前提である。もし、尖閣列島がある日、某国の手に落ちた時に米軍が来るか否かは、必ずしも明確ではないと考えておくべきである。米国は、その時々の状況を判断し、行動することになると考えておいた方がいい。米軍が来援する様に、我が国の価値を上げておくことと、信頼感を高めておくことが重要である。また、現在、我が国の施政下にある土地・地域を決して他国に踏みにじられてはいけない。 我が国は、そろそろ念仏を唱えるだけでなく、北方4島に関しても竹島に関しても、如何に取り戻すか真剣な議論をすべきだろう。米国がロシアからアラスカを買い取ったことなども参考にするなど、ありとあらゆる手段を模索し、それを実現するための行動を起こす時期に来ている。(令和2.2.14) 岩崎茂(いわさき・しげる) 1953年、岩手県生まれ。防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊。2010年に第31代航空幕僚長就任。2012年に第4代統合幕僚長に就任。2014年に退官後、ANAホールディングスの顧問(現職)に。 写真:TASS/アフロ 《HH》